2014年01月14日

藤本健二氏への単独インタビューの記事がNK Newsに掲載されました

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 自らの後見人ともなっていた叔父の張成沢氏を公開処刑した北朝鮮の金正恩第1書記。公開の理由について、北朝鮮は、張氏を「犬にも劣る見下げ果てた人間のクズ」と呼び、「あらゆる種類の陰謀と卑劣な手段を使って国家転覆を謀った」と説明した。北朝鮮内部でいったい何が起きているのか。金正恩氏が単に権力固めを推進しているだけなのか。あるいは、彼の権力掌握力が落ちているために、ここに来て躍起になっているのか。後見人の張氏がいなくなり、今後の金正恩体制はどうなるのか。北朝鮮崩壊の序曲とはなり得ないのか。

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 こんな数々の疑問が沸き上がり、北朝鮮の「奥の院」を熟知している故・金正日専属料理人の藤本健二氏に単独インタビューを実施しました。そして、北朝鮮ニュース専門サイトのNK Newsに記事が掲載されました。

(Part 1) Kim Jong Il’s former sushi chef sees coup potential

In exclusive interview, Kenji Fujimoto says womanizing prompted Jang purge


(Part 2) Chef says Kim Jong Un showed leadership potential early

In exclusive interview, Kenji Fujimoto says North Korean leader was boisterous growing up


 叔父の張成沢氏や叔母の金慶喜氏がいなくなり、金ファミリーの軍に対する監視が弱まる中、金正恩氏が軍事クーデターに遭う可能性が高い、と藤本氏は指摘した。(藤本氏は妻や娘を平壌に残しており、この発言にはリスクを負っている。)また、張氏処刑の理由は、経済利権など金や権限をめぐる問題ではなく、張氏が「喜び組」の若い少女たちに手を出して、金正恩氏の怒りをかったためだ、と指摘した。もともと金正恩氏は、祖父や父が複数の女性と関係を重ねていたことを毛嫌いしていたとのことだった。
 
 北朝鮮の国営の朝鮮中央通信社(KCNA)も、張氏処刑に先立ち、すべての役職を解任する理由の一つとして、「複数の女性と不適切な関係を持ち高級レストランの裏部屋で飲み食いした」ことを挙げていた。


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posted by Kosuke at 15:54| Comment(0) | 北朝鮮

2014年01月07日

靖国神社についての良い特集記事

靖国神社についての良い特集記事があったので、ここに紹介いたします。

靖国問題ってなに?

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特集――靖国問題ってなに? 設立の経緯は? なぜ中韓反発? 打開の努力は?。

2013/12/28 日本経済新聞

設立の経緯は?

戊辰戦争から戦死軍人を慰霊

 安倍晋三首相の靖国神社参拝が国内外で大きな波紋を広げている。いわゆるA級戦犯を合祀(ごうし)した靖国神社への首相の参拝に中国や韓国が猛反発、米国も不快感を示す。国内では政教分離を定めた憲法に抵触するのかも議論になってきた。首相の靖国参拝がなぜ問題になるのか。靖国神社がたどってきた道や首相の参拝を巡る論議からひもといてみた。(4面参照)
 靖国神社は明治維新翌年の1869年、戊辰戦争の官軍の犠牲者を悼むため、東京・九段北に「東京招魂社」として建立された。79年に明治天皇が名付ける形で靖国神社に改称。「国を安(靖)らかにする」との意味が込められている。
 祭神は明治維新や日清、日露、第2次世界大戦などの戦争で犠牲になった軍人ら。坂本龍馬や吉田松陰ら幕末の志士、学徒動員された沖縄の「ひめゆり学徒隊」の女子学生も含まれる。西郷隆盛は西南戦争の「賊軍」のため対象外で、日露戦争の立役者の東郷平八郎も戦死者や戦傷病者ではないとの理由で含まれていない。現在、約246万6千柱がまつられている。
 靖国は戦前、陸軍省と海軍省が共同管理し、国家神道の精神的な柱となった。国のため命をささげた「英霊」をたたえる場として国民に定着し、「死んだら靖国で会おう」と誓い合い、「死ねば靖国の神様になる」と信じて戦地に赴いた軍人も多かった。
 戦後、GHQ(連合国軍総司令部)が1945年に神道指令を通達し、国家神道を廃止。靖国は46年に一般の宗教法人になった。この一宗教法人に首相が参拝することが憲法の政教分離原則に触れるかどうかが靖国問題の論点の一つになってきた。
 75年、終戦記念日に初めて参拝した三木武夫首相は「私人としての参拝」を強調した。憲法は個人の信教の自由を認めており、玉串料などを私費で支払えば憲法上問題はないとの判断からだ。その後、福田赳夫首相らも終戦記念日に「私的参拝」したが、日本遺族会などは首相としての「公的参拝」を求めた。
 その後、中曽根政権で藤波孝生官房長官の懇談会が「政教分離に抵触しない公式参拝のあり方を検討すべきだ」と報告。中曽根康弘首相は神道の「二拝二拍手一拝」をやめるなど宗教色を薄めれば憲法に触れないとして85年の終戦記念日に「公式参拝」に踏み切る。これがもう一つの大きな論点を浮かび上がらせた。
なぜ中韓反発?

A級戦犯14人を合祀

 85年の中曽根首相の公式参拝がクローズアップしたのは、靖国参拝の外交問題としての側面だ。中国が「A級戦犯をまつる靖国神社への参拝は侵略戦争の肯定につながる」と反発。その後、韓国も歴史認識問題で日本と対立する中で靖国参拝への批判を強め、安倍首相の靖国参拝を巡る構図につながっている。
 いわゆるA級戦犯とは極東国際軍事裁判(東京裁判)で侵略戦争を計画・実行したとして「平和に対する罪」で起訴された28人の政治・軍事指導者のこと。判決前に死亡したり病で免訴になったりした3人を除き25人が有罪となった。安倍首相の祖父、岸信介元首相はA級戦犯の容疑者として逮捕されたが不起訴になっている。
 52年に日本が独立を回復すると、戦犯の赦免を求める運動が広がり、遺族援護法や恩給法が改正されてA級戦犯の遺族も遺族年金などの対象になった。靖国神社に合祀されるのは遺族援護法や恩給法の対象になる戦没者としているため、A級戦犯の合祀問題が浮上。慎重論もあったが靖国神社は78年になって東条英機元首相ら14人の合祀に踏み切った。
 A級戦犯の合祀が明らかになったのは翌79年。その後も大平正芳首相らが参拝していたが、中国は目立った反発を見せなかった。85年を契機に中国が首相の靖国参拝に批判の声を上げ始めたのは、中曽根首相の「公式参拝」が注目され、靖国に関心が向いたためだ。
 なぜ中国はA級戦犯にこだわるのか。中国は72年の日中国交正常化時、中国国内向けの説明として「日本の侵略戦争は一部の軍国主義者によるもので一般の日本国民は被害者」と説明し、異論を抑えた。A級戦犯をまつった靖国を日本の政治指導者が参拝すれば国交正常化の説明が揺らぎかねないとの懸念がある。中曽根首相は中国の反発を受け、その後は参拝をやめた。
 A級戦犯の合祀には日本国内にも異論がある。昭和天皇の参拝は75年を最後に途絶えた。富田朝彦元宮内庁長官が残したメモによると、昭和天皇はA級戦犯合祀に強い不快感を示し「だから私はあれ以来参拝していない」と語っていた。今の天皇陛下は即位以来、一度も参拝していない。

打開の努力は?

分祀・追悼施設見通し立たず

 国のために命をささげた英霊を政治指導者として追悼したいが、政治、外交問題に発展するのは避けたい――。首相の靖国参拝を巡るこうした事態を打開するため、A級戦犯の分祀論や靖国に代わる国立の追悼施設構想などが浮かんでは消えている。
 中国や韓国の反発を避ける案の一つが靖国にA級戦犯をまつるのをやめる分祀論だ。公式参拝が中国の反発を招いた中曽根政権や小渕政権などで取り沙汰され、A級戦犯の遺族側に自発的に合祀を取り下げるよう求める動きもあった。
しかし靖国神社側は、いったんまつった霊を分離することは神道の教義から認められないと反対している。政教分離の原則から政府が一宗教法人である靖国神社に分祀を強制することはできない。小渕政権では野中広務官房長官が靖国神社を宗教法人から特殊法人に変える構想も打ち出したが、立ち消えになっている。
 靖国神社に代わる新しい戦没者追悼施設を国がつくる構想もしばしば浮上する。代表的なのが2001年の小泉純一郎首相の靖国参拝が中韓の反発を招いたのをきっかけに、福田康夫官房長官の懇談会がまとめた報告書。「国を挙げて追悼・平和祈念を行うための国立の無宗教の恒久的な施設が必要だ」とした。
 ただ、遺族や自民党内の保守派には「靖国で会おうと言って亡くなった戦没者を追悼するのは、やはり靖国神社しかない」との声が根強く、新しい追悼施設構想は具体的な動きになっていない。菅義偉官房長官も新たな追悼施設について「今すぐ対応していくことは考えていない」としている。

合祀されたA級戦犯      
絞首刑   東条 英機   首 相
広田 弘毅   首 相   
板垣征四郎   陸 相   
土肥原賢二   奉天特務機関長   
松井 石根   中支那方面軍司令官   
木村兵太郎   ビルマ方面軍司令官   
武藤  章   陸軍省軍務局長   
終身刑〓(服役中に死亡)   平沼騏一郎   首 相
小磯 国昭   首 相   
白鳥 敏夫   イタリア大使   
梅津美治郎   参謀総長   
禁錮20年〓(服役中に死亡)   東郷 茂徳   外 相
公判中に病死   松岡 洋右   外 相
永野 修身   軍令部総長   
posted by Kosuke at 02:42| Comment(0) | 国政